文化・芸術

2010年1月18日 (月)

【情熱大陸】石井一男という人

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久しぶりに、心を「ギュ」っと鷲づかみにされるような作品を見ました。

残念ながら、”生”ではなく”テレビで”・・・ですが、「情熱大陸」と言う番組が一年間に渡って取材したと言う、石井一男という人の作品です。

49歳になって初めて本格的な画業をスタートさせた彼は、それまでは、誰のためでもなくただひたすら自分のためだけに絵を描き続けていたのだそうですが、番組中で紹介された彼が画面に向かい続ける姿勢には、紛いなりにも同じ道を歩むものとして、考えさせられるものがありました。

【情熱大陸HP】http://www.mbs.jp/jounetsu/2010/01_17.shtml

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2008年8月30日 (土)

【世界・ふしぎ発見】セガンティーニ美術館

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「世界・ふしぎ発見」で、スイスアルプスを愛した画家、「セガンティーニ」を紹介していました。

スイスのイ、タリア国境に近い「サン・モリッツ」というと小さな街に、彼の作品を収蔵した美術館があり、その内部と作品のいくつかも紹介されました。

上の写真の円筒形の外観そのままに、内部の壁面もラウンド形になっていて、その包み込まれるような空間も面白く感じましたが、一つ一つの絵も、リアルと幻想が不思議と調和し興味深い。

最初遠目に作品が映った時は、なにも特徴の無い絵にも思えたんですが、近くに寄ると、イメージが変わりました。

彼の絵は、恐ろしいくらいに繊細な線状のタッチで描かれていて、いわゆる点描のようでもありすが、彼の描く線には実験的な意識はなく、自分の肌にしっくりくるタッチを、純粋に模索した結果のように感じました。

彼が晩年居住していたという家には、今でもお孫さんが住まれていて、「祖父が使っていたものです」と、レポーターに見せたパレットが、そのまま彼の絵のようで。。。

一見単純に見える山や草原の色ひとつにも、何度と無く混色を繰り返し、繊細かつ緻密に塗り重ねていく、彼の仕事への姿勢が伺えるようでした。


【セガンティーニ美術館】(日本語ページあり)
http://www.segantini-museum.ch/
【TBS・ふしぎ発見】
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery1067_2.html

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2008年6月21日 (土)

【ETV特集】松井冬子

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夕方のニュースで、食価高騰時代の救世主として、「バター由来成分配合のマーガリン」なるものが紹介されてまして、、、。

安定供給可能なマーガリンにバターから抽出したエッセンス(?)を加えたもので、これからの時代、様々な代用食品で食糧難を回避していく事になるだろう・・・と言う、ちょっと怖い未来予測でもあったわけですが、、、。

そう言えば最近、「~由来成分配合」って言葉を良く耳にしますけど、またしても「便利なコトバ」を生み出してしまったな?と(苦笑)

そんな折、深夜のETV特集(再)で、松井冬子さんの特集をやってたのを見かけました。

相変わらず「派手」なお方で、どうすれば、あんな風になれるんだろうか?
と、「自分にないモノ持ってる感120%」の彼女を見てると、ついつい、弱点を探したくなってしまう、ちっさい自分が(苦笑)

ただ、そんな彼女に好感をもてたのは、、、「日本画由来成分配合の「マーガリン」みたいな日本画も増えてきた昨今、彼女は、あくまでも「バター」に拘ってるんじゃないか?と。

もちろん、「岩絵の具を使い続けてるから偉い!」なんて気はさらさらないですし、「禁じ手」も随分使ってるように思いますけども、、、何に関しても真っ直ぐなんだな!と。

絵が上手くなる事に対しても・・・まっすぐ。
自分を美しく飾る事に対しても・・・まっすぐ。
有名になる事に関しても・・・まっすぐ。

なんか、、、「朝青龍」みたいな人だと思った。(日本人だけど)
相撲協会みたいな日本画界には、横審みたいな逆風もきっとあると思いますけども、、、身内同士で牽制したり、傷舐めあっても仕方ないですし(汗)

そんな「小人」たちがジリジリと悔しがるような華やかさで、力強く、今後も頑張って欲しいなと。

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2007年7月26日 (木)

【迷宮美術館】ジャン=バティスト・カミーユ・コロー

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深夜の迷宮美術館でジャン=バティスト・カミーユ・コローの特集をやっていました。

例によって例のごとく最後のほうだけチラッと見たので、長い前置き部分は見逃しましたが、長い苦労の末、彼が風景画の奥深い色彩を微妙なグラデーションで描き分ける技術を生み出し、それまで「背景」としてしか捉えられていなかった「風景画」を独立した一枚の芸術作品として評価されるまでに高めたことが紹介されていました。

サロンで評価されるようになった彼の作品を批評家たちが「まるで湯気が立ち上るようなグレイ(銀灰色)」と評したそうで、、、。

そのグレイの部分が虫食い問題として出題されまして、、、それに正解した江守某氏が「そのグレイは、日本の水墨画にもつながるんじゃないでしょうか?」とコメントしておられたんですが、ホント、そのとおり。

そのような「中間色」を用いた表現は、日本画の岩絵の具の表現にも繋がって来るわけですけれども、洋の東西や技法の違いを超えて、自然描写を突き詰めていくと、同じ普遍的なテーマにたどり着くのかな?と、、、。

最近、自分の絵を描いていて「風景画も、なんか、”普通”で飽きてきたなあ~」なんて思っていた訳ですけれども、そんな風景画が「異端」とされていた時代に、それが「普通」になるまで尽力した先人が居たことを思うと、ちょっとまた、見方が変わるな!と。

そんなことを思いつつ、改めて「グレイ」な「色」を、「普通~」に塗ってみようかと。。。

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2007年6月 7日 (木)

【迷宮美術館】いわさきちひろ

たびたび、神の思し召しか?と思うようなタイミングで、いいテレビ番組に出会うことがあるわけですが、、、今夜のそんな出会いは、例によって「再放送の迷宮美術館」、いわさきちひろの回でした。

遅まきながら、今日はじめて知ったんですが、ちひろさんって、左利きだったんですね~!

番組では、彼女の生い立ちや画業の軌跡などを追いつつ、死の直前にベトナム戦争を描いた作品など、奥深いテーマなども扱っていた訳ですが、、、そんな深刻な話は置いといて、、、。

彼女の仕事場(?・・・途中から見たので詳細不明)と共に、生前の作業風景なども紹介されていたんですが。

ちひろさんが、絵を描くときに欠かせなかったモノの中に「トランプ」があったそうで、いつも仕事場の片隅にカードを置いて居て、考え事などするときに机の上にトランプを並べ、数合わせのような事をしていたのだとか。

恐らくそれは、パソコンに付いて来る「ソリティア」みたいなゲームだったようで、、、無秩序に並んでいたカード達が、ゲームを進めるうちに整然として来て、最後に「パァ~っと」全てが揃った瞬間、吹っ切れたように仕事に向かうんですって。

なんかその気持ち、わかるなぁ~!って。

番組出演者は、戦争画の話題で安っぽい涙とか流してましたけども、なんか、そういうのよりも、絵描きがトランプ並べながら頭を捻ってる姿のほうが、なんか、リアルな気がした。。。午前三時。

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2006年7月25日 (火)

【新日曜美術館】 「若冲・プライスコレクションの全ぼう」

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先日の「NHK・新日曜美術館」で、「東京国立博物館・平成館」にて7月4日より開催されている「プライスコレクション「若冲と江戸絵画」展」が取り上げられていました。

その番組中で紹介されたコレクターのジョー・プライス氏の「私が感じた日本文化の魅力を(日本人に)もっと知ってもらいたい!」というメッセージを聞いて、私は、サッカー日本代表の新監督に就任したオシム氏の、就任会見での発言を思い出しました。
(皆さん既にご存知だとは思いますが・・・)

その発言とは、、、「サッカー日本代表を“日本化”させる」というものでした。

彼の言葉には、「形ばかりで中身を伴わない経済成長や真似ごとの国際化ではなく、原点に戻って「日本の価値」を足元から見つめなおし、オリジナリティーを磨き育てていくことがこれからの日本には必要なのだ」と言う、強いメッセージが込められて居ると思うのですが、それは、「日本人を”日本化”する!」と言い換えて、サッカー選手のみならず、全ての日本人が、心に刻むべきキーワードなのではないでしょうか?

・・・

伊藤若冲は、今から約200年前の江戸時代に京都で活躍した絵師で、、、と、彼の人となりや画業については参考ページを見ていただくことにしますが、、、その存在が広く認知され評価を受けるようになったのは、(長い歴史から見たら)ごく最近の事なのだそうで、プライス氏が収集を始めた頃には、若冲はまだ無名で、かなり安値で取引されていたのですが、彼は、そんな市場の評価などお構い無しに日本中を駆け巡り、自分の目で「美しい」と感じたものだけを夢中で買い集めたのだそうです。

番組中では、カリフォルニアにあるプライス邸の様子なども紹介されていたのですが、彼がコレクションを鑑賞するときにはいつも、西海岸の眩しい日差しをブラインドウと障子で調整し日本家屋柔らかな光を再現した空間で楽しむのだそうで、そんな彼の拘りは今回の展示にも大きく反映され、会場の一部にガラスケースの無い展示室を作り、綿密にコントロールされた照明によって、日本家屋の一日の光線の変化を再現し、移り変わる作品の表情を楽しめるよう、工夫されています。

そこまで光線に拘った展示は稀で、以前見た「法隆寺展」の時など、普段はお寺のお堂に安置されている仏像がスポット照明を浴びてガラスケースの中に展示されている姿に「やはりこういうものは、在るべき場所にあるべきなのでは?」と、ゲンナリした思い出もあり、プライス氏の演出には大拍手を贈りたい気持ちと同時に、彼の日本美術に対する造詣や愛情の深さをリアルに感じる展示方針だと思いました。

・・・

そして、番組の後半では、若冲作と言われる(署名が無いのだそうです)「鳥獣花木図屏風」と言う作品が紹介されました。

この作品には、まるで楽園のようにたくさんの動物が原色を基調とした鮮やかな色彩で描かれているのですが、その表現方法が圧巻で!
数メートル以上引きを取らないと全景が見れないのでは?と思われるその大作に近づいて見ると、動物達の細かな表情が1センチ単位くらいの格子状に分割され、まるでデジタルグラフィックのように表現されているのです。

話は飛びますが、、、私の教室に在籍して居る中学生の男の子(そのころはまだ小学生だった)に様々な画集を見せてみると、若冲の作品に強く興味を示しまして。。。
彼の目にはそれが「古臭い日本画」ではなく、マンガやゲームに出てくる「怪獣などのキャラクター」と同じ次元で映っている様で面白かったので、「彼なりに若冲を模写し、そこに現代の感性で斬新な色を付けてみたら面白いんじゃないか?」と思いつきまして、現在制作中なのですが、、、。

その作品が、当初私が想像していたよりも数段面白く斬新に仕上がってきていまして、、、「若い感性恐るべし!!!」と、その瑞々しさに心洗われる思いで見ていたのですが、、、200年も前の老絵師の作品は、更に輪をかけて若々しく斬新だったと、、、(汗)

・・・

今回の番組を通して、若冲や江戸の画家達の更なる魅力を再認識させられた訳ですが、、、身近なはずの”日本の魅力”をオシム氏やプライス氏のような”外人さん”に改めて教えてもらわないと気が付かないと言うのは、ちょっと情け無いんじゃないか?とも思えてきまして、、、。

特に、美術界はそんな逆輸入傾向が顕著で、「日本では見向きもされなかった作家が海外に渡って成功した途端、急に国内で持て囃されたりする」なんてこともしばしばで、、、更に遡れば、江戸琳派や浮世絵などの作品も、その価値に日本人が気づいた頃には既に大量の名品が海外に流出していた訳で、、、自らの魅力を「うっかり」見過ごしてしまった「愚かな歴史」をはっきり認識する必要があるのではないか?と思う訳です。

そういった意味では、オシムジャパンもプライスコレクション展も、単なるお祭り騒ぎで終わりにしてしまったら骨抜けな訳で、、、それに学んで、自らの目で新たな魅力や価値観を探究し創造してゆく事に目覚めなければ、、、日本人は相変わらず「自信を失ったまま」生きていくことになるのではないでしょうか?

そんな気持ちを抱きつつ、近いうちに、東京博物館へ足を運んでみたいと思います。

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2006年7月17日 (月)

岡本太郎 「明日の神話」

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岡本太郎氏の幻の大作「明日の神話」が、発見・修復され、公開されたのと言うニュースを聞きました・・・。

まだ現物を見ていないので何とも言えないのですが、テレビの画面に映し出されたその作品はまるで昨日仕上がったばかりの新作のように鮮やかな色彩に彩られていて、私は違和感を感じました。

「なぜ?、あそこまで奇麗に修復する必要が有ったのだろうか???」と。

骨董や古美術を愛好する人たちの世界には「時代がつく」という言葉が有って、文字どおり「年月を経て、古びた感じや古風なおもむきがでる。(三省堂「大辞林」より)」という意味なのだそうですが、その汚れを奇麗に拭き取ってしまうと、骨董的価値が半減してしまう事などもあるのだと、聞いた事も有ります。

もちろん、作品を次代に受け継いでいくと言う立場で、粗末に扱われ朽ちていくのを黙って見過ごしてはイケナイ!と言う考えも理解できますが、それならば、出来る限り現状を維持する方向で修復がなされるべきで、、、。

私はその道の専門家ではないので技術的な詳しい事は分からないですが、最近では科学の進歩によって絵画のクリーニング技術が向上したり、高度な成分分析によって、使用された画材や当時の色彩の再現なども可能になって来たようで、そのこと自体は喜ぶべきなのかも知れませんが、、、進歩した修復技術を闇雲に施すことは、本来の目的から逸脱した「技術のための技術」となってしまうのではないでしょうか?

話は変わりますが、、、そんな絡みで、あるファッションデザイナーの方(スイマセン、お名前忘れました)のしていた話、、、を思い出したのですが、、、。

そのデザイナーさんは、ルイ・ヴィトンの大ファンで、地下倉庫に大切に保管していた鞄が大雨のときの浸水で水没してしまい、とても残念に思っていた矢先に、たまたま、ルイビトンの偉い人(現在の社長?)と対談する機会が出来たので、「又とないチャンス!」とばかり、無礼を承知で「雨染みを修理する方法は有るか?」と尋ねてみたのだそうです。

するとその紳士は、、、、

     「その雨染みもバッグの歩んだ『歴史』ですから、それも含めて大事にしてやってください♪」

と、微笑みながら答えてくれたのだそうで。。。

デザイナー氏は「彼の豊かな言葉に深く感銘し、自分の浅はかさを恥じた」と言っていましたが、、、そんな「愛し方」もあるのですよね?

殊、文化財級の品物についてはそんな考え方が重要で(もちろん、それ以前にそんな不慮の事故から作品を守る努力は必要ですが)、作品が辿ってきた「歴史」に手を加え、何事も無かったかのようにその傷を消し去る行為は、作品の歴史自体を否定する事にもなり兼ね無いですし、何人も(もしかしたら作者本人でさえ)手出し出来ない「聖域」なのではないか?と思う訳です。

今回の修復作業の様子などレポートされていまして、粉々に砕けたコンクリート片を繋ぎあわせ、欠損部分なども限りなく原画に忠実に復元してゆく作業には、並々ならぬものを感じますし、もちろん、その情熱は作品に対する愛情に他ならないと思うので、その裏側を知ってしまうと、批判口調もトーンダウンせざるを得ない訳ですが、、、だからといって、その愛情が作品に対して正しく向けられたものか?は別問題かもしれません。

そんな目で今回の一連の流れを見ると、今回のプロジェクトをプロデュースしている人たちの姿勢が実にテレビ的と言うか?、、、私の目には、インパクト重視でパッと鮮やかに人目を引く風にしか考えていないように映りまして、、、。そんな意識で不必要に作品を磨き上げ、それをあたかも作品に対する愛情のごとく宣伝している事に、違和感を感じてしまったと、、、。

そういう意味では、私は「口当たりの悪いものを深くかみ締めながら味わう」ような感性で、最小限の修復を施し、その、「忘れ去らざるべき、故人のメッセージ」を公にする事は出来なかったのかな?、、、と思う訳ですが、、、。

私のおせっかいな私情はさて置き、あの世の、岡本氏は、この修復作品を見てどう思うのでしょうかね???

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